プリンキピア続編>陽電子−中性子仮説(同重体理論)>序章 問題点の導入
「陽子ー中性子説」のミステリー
「陽子ー中性子説」は今では一般的に受け入れられるようになり、教科書などでも常識のように紹介されている。しかし、「陽子ー中性子説」が提出された当時には必ずしも科学者全員が納得したわけではなかった。湯川(Hideki
Yukawa, 日本, 1907-1981)がその一人だった。
湯川が不思議がっているのは「なぜ中性子が原子核に存在するのか。その存在意義は何だろうか。核子(陽子と中性子のこと)間の結合はどうなっているのか」のことである。
科学者たちは「小麦粉からパンを作る」に例え、核子が集まって原子核を作るのには「水」のようないわゆる「接着剤」が必要であろう。そして、湯川は大量の計算を繰り返し、核子が原子核に拘束されるのに、少なくとも核子の200分の1大きさの接着剤粒子が必要とするに突き止めた。彼はこの粒子を「中間子」と名づけ、中間子の接着作用を始めとする核力を説明する「中間子理論」を考案した。
「中間子」は見事に後ほどに宇宙線から検出されたが、原子核の中に存在するかどうかについては今になっても未だに証明できない。しかし、異例にも湯川にノーベル物理学賞を下したのは、「陽子ー中性子説」に対する不満の声によるものだとか、いろいろな資料を調べているうちにわかった。
一方、核子間における「中間子」の接着作用は未だ謎に包まれたままである。最近の「中間子」の研究は湯川がイメージしていた「中間子」とは根本的に異なり、もはや「中間子」の名しか残されていない。例えば、
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