プリンキピア続編>陽電子−中性子仮説(同重体理論)>序章 問題点の導入
元素の由来と発見の歴史(五)
「原子は原子核と電子より構成される」今では常識のようだが,90年前の科学者達はまだ原子核の存在すら気が付かなかった。やがて1913年にボア(Niels
Bohr, デンマーク, 1885-1962)は原子のスペクトルを詳しく分析し、量子論を提唱し,そして、量子論のもとでボア原子模型を提出した。
「原子は正電荷を持つ原子核と負電荷を持つ電子からなり、原子番号は電子の数、あるいは正電荷の数である」,この「ボア原子構造」は今現在の原子の基本になっている。
しかし、これでも同位体とか、原子量とか原子核に関して説明できない疑問点があり、やがて、後の1932年にチャドウィックの中性子発見により,原子核は陽子と中性子からなるという,「陽子ー中性子仮説」が提案され、これまで主な疑問点は解決された。
「原子核は陽子と中性子からなり、原子量は陽子と中性子の各々の数によって決まるものである。陽子の数は原子番号であり、陽子数が同じく、中性子数が異なることによって同位体が生じている」。この説明は一応世界中の科学者を納得させ、今なお根深く信頼を得ている。
ここで注目したいのは
である。
元素,原子の由来と発展の歴史は人類が「知識の先入観」と戦う歴史でもある。よって,「原子論」や「元素論」をさらに発展させるにも,先入観の「武装解除」が要求される。
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