プリンキピア続編陽電子−中性子仮説(同重体理論)>序章 問題点の導入

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元素の由来と発見の歴史(四)

元素発見の第三ブーム−「放射能の発見及びサイクロトロンの導入」

新元素発見の第三ブームを持たしたのは元素の合成である。

1895年に、レントゲン(Wilhelm Rontgen, 独, 1845-1923)が]線を発見し、翌1896年に、ベクレル(Antoine Becquerel, 仏, 1852-1908)がウラニウムから放射能を発見した。これらの発見によって,元素、原子に関する研究の新紀元幕開けとなった。1897年、トムソン(J. J. Thomsom Sir, 英, 1856-1940)が電子を発見し、1906年、ラザフォード(Ernest Rutherford, 英, 1871-1937)がα線散乱により、原子の正電荷は非常に狭い範囲に集中することを発見し、原子の有核構造を提唱した。

時代は自然にある元素の宝探しから新元素の合成へ入って行く。人々は強大な加速器を建設し,α粒子を始め,いろいろな粒子を加速して,あらゆる原子核を攻撃することによって,次から次へ新しい人工放射性元素を合成するに成功した。

しかし,α粒子など正電荷を持つ加速粒子は安易に原子核に入らなかったため,加速粒子を用いた元素合成の壁が厚かった。

元素発見の第四ブーム−「中性子の発見」

元素発掘の第四ブームを迎えたのは中性子の発見である。

1932年にチャドウィック(James Chadwick, 英, 1891-1974)が陽子の質量と大体同じでありながら電荷が持たない中性子を発見した。この中性子は電荷が持たないため安易に原子核に進入することができる。

人々は早速中性子を使って新しい元素の合成に挑戦した。ついに,人類は原子に異性体の存在を確認し,原子の数も原子番号が110種類の元素の1300核種まで増やした。そして,ウラン等の高原子量核種に中性子で照射することによって核分裂が起きることを知り,原子核に隠される巨大たる核エネルギーと遭遇した。また,原子に対する新しい知識も得られるようになった。

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