プリンキピア続編>陽電子−中性子仮説(同重体理論)>序章 問題点の導入
元素の由来と発見の歴史(三)
元素発見の第二ブームのきっかけはズバリ「周期表」の出現である。
十九世紀半ばに,メンデレーエフ(Dmitri Mendeleev, 露, 1834-1907)はそれまで発見された元素について研究し、中から面白い周期性を発見した。メンデレーエフは早速これら元素を原子量の小さいものから大きいものへと順番に並べ、しかも化学性質の似た元素をグループにし、「周期表」という表を作成して,公表した。しかし、「周期表」にはいくつかの空席があり、メンデレーエフは大胆にもこれらの空席にこれから発見する新しい元素が入るはずだと予言した。
しかし,ここで人たちがまたも先入観というものに妨害された。元素に性質が類似するものがたくさん存在する。しかし,当時、元素の性質にある関連性は単に偶然のものにすぎない。そう信じていた学者き圧倒的に多かった。彼等にとって、メンデレーエフのこの大胆な予見にはあまり大きな反応が見られなかった。
しかし、間もない間に新元素が発見される度に、メンデレーエフ予言の正しさが見事に証明された。事実の前に,人たちは「周期表」に目を向くようになった。「周期表」の空席元素は原子量や性質が予想できるため,やがて、「周期表」は新しい元素を発見する方向付けるものとなり、空席元素は間もない間に,次から次へ自然界に発見されて,「周期表」も原子番号92のウラニウムまでほぼ埋め尽くした。そして、新元素の発見は再び氷河期を迎えた。
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