2005年10月8日
小学校1・2年生の時左目の視力が悪く学校から眼科受診するように
用紙を貰ってきました。
二年の間に受診した眼科では
「片目がよいので眼鏡は要らないので様子見ましょう」
と
視力の検査をするだけ。
小3の時もう片方の目も悪くなると困るから眼鏡を進める医師もいる
と聞いたので、別の眼科を受診・眼鏡を作り両目を使いましょう
と言われました。眼と言うのは片方だけ視力が良い場合、
悪い方の目は使わなくなるのだそうです。
この時、眼底に少し黒っぽい部分がある。
と眼底写真をとりました。
何だか、正常の写真とは違いましたが医師は
「この子は色素か何かの影響でこういう眼なんだね。」と
私が原因や視力に影響が無いか聞くと「心配ない」と。
眼鏡を作りきちんと両目で映像を捉える事が出来ていました。
昨年の秋までは両目とも1・0まで見えてました。
今年の3月(眼鏡を作り約二年後)眼鏡をかけた
左目の視力が0.7になり、
レンズの度を上げても視力が上がらないので良い方の眼を眼帯で隠して
左目を使う訓練をする様に指導を受けました。
(健眼遮蔽・eyeパッチとかと言うらしい)
がこれが中々面倒だ、不便だでさぼり気味でした。
今年5月小5になり学校検診で用紙を貰ってきたので眼科受診。
この時も左目の視力は同じ0.7。医師は健眼遮蔽続けてと。
この後少しの間は医師の指示を守っていましたが、
忙しかったりでサボってまして^^;
9月の末にこれで駄目と私の見てる所でやらせる事に。
10月に入りeyeパッチをしている時に、
本を読ませたら、全く見えて
無い事に気がつき慌てて眼科へ・・・
左目の視力は0.05で視野もほとんど無く、
眼底写真も非常に悪く黄斑部がぼやけていて主治医は
「こんなの見たこと無い。何の病気か分からない。大学病院へ
行って診察してもらって」と言われました。」
ここまでが一応の経過・・・私の気持ち子供の気持ち、大学病院での
結果はまた後日書き入れますね。
2005年10月9日
大学病院で
受診するまでは、今日明日の入院って言われるかな?って
思っていました。信頼していた、この地域では信頼出来るDrの
診断だったので、入院して調べるような事ではないかと・・・
けれど、眼底写真。症状。経過。をみた助教授は
「コーツ病の疑いです」と即診断。
何故疑いか・・・今現在、網膜剥離が起きていると言う事で
この状況で網膜剥離が起きていると2万文の1の癌の疑いを
否定してからでないと診断できないのです。
今までの経過があるので「癌」の疑いは少ないけれど・・・
いやはや色々考えると辛い辛い出来事です。
癌でないだろう事は予測が付いても、5月まではある程度見る
と言う事ができた眼ですこの数ヶ月でこうも変わるのか???
不安で一杯です。
不安で一杯だけど、親として。個人として。彼が大好きな
野球が出来ない。等と申告されたら???
その事が辛さです。
癌の疑いを消す検査をしてからでないと今後の治療方針は
決まりません。精密検査は21日です・・・不安です
2005年10月10日
長男
只今小5。外では比較的におとなしめ。学校の先生に
「もう少しわんぱくでもいいのに」と言われる。
結構外では優しいらしい。
マイペースで図太い面がある。
野球が大好きで野球を始めて2年になる。
139センチ。32キロ。
パワーをつけるため朝夕、お茶漬け様のどんぶりに一杯
ご飯を食べている。半年以上続けてやっと体重1キロ増加
毎朝、素振りやティーでバッティング練習してました。
とにかく野球が一番!と言う生活を親子で送っています。
病状
最初の大学病院受診で今後の生活に何を気をつけるか?
運動を続けさせても良いのか?聞いた所
医師は
「この状況で他の医師なら安静を言う人もいるけれど
僕はここまできたら普通に生活していていいと思う。
今の内に好きな事したほうがいい」
と言われました。
その時は「あぁじゃあ野球の練習も体育も出来るな」なんて
考えていましたが時間が経つにつれて
・・・網膜剥離してるのに動いていいのかな?
この間にもっと視力が悪くなったらどうしよう
今の内に・・・ってどういう意味だろう?
急に不安になりました。
旦那は、「先生がいいって言ったんだから大丈夫だ」って
安易に考えているし。
視力が戻らないことは覚悟してたけど、
普通にしていて、野球やらせていて更に視力が
落ちたらどうしようと不安。
食事もしたくないけれど、子供の手前普通に食べたり
何事も無いようにとにかく普通にする。これが結構
大変。
長男も最初はご飯いらない。何て言いましたが
「せっかく大きくなった胃袋小さくなるぞ」と言われ
しっかりと、毎日朝晩どんぶりご飯食べています。
母。強くならねばなりません!!
2005年10月11日
供がどうしても野球をやりたいといいます。
今の私としてはこれ以上症状を悪くしたくない。
たとえ片目でも野球を続けさせたい。
その気持ちで、日々葛藤・・・
何せ0・05と言う視力です。
今後を考えると不安です。
もともと予後は悪い病気です。そう聞いてはいるけれど
どう悪いのか・・・失明するのか、スポーツをする等
と言う事をやってはいけない。と生活に制限があるか?
色んな事を考えます。
二年前に他の病院を受診していたら今の状況は
無かったかもしれません。
二年前にさかのぼり、訴える事も出来るのでしょうか?
医療を訴える事、相手に非を認めてもらう事。
凄く大変。
色々考えます。
ただただ考えて考えて悲しくてそれで時間が
過ぎていきます・・・
2005年10月12日
今後の経過への不安。治療への不安。
何がどうなるのか??
不安で仕方ありませんが子供本人が
踏ん張っています。母泣いてばかりも
いられません。病気の子供に支えられてる
情けない母であります。
とにかく、大好きな野球を続けられる事
これが親子共々の気持ちです。
病名について、症状について、治療について
色々調べた方がよいのだと分かっていても
怖くて、何だか病院で医師に言われるまで
受け入れられないような・・・
そんな感じです。
また、コーツ病の子供たちがどんな風に
生活してるのか?って分からない事も
とっても不安。
そんな事もありオメメノ話を立ち上げました。
自分の心の整理のため。
どなたかから情報を得るため。
学校の保健の先生にも知って欲しいし…
気持ちの整理が付いたり、考えがまとまるまで
同じような書き込みが続くかもしれません。
これも母の気持ちの揺れだと思ってくださると
ありがたいと思います。
2005年10月 日
網膜の血管の異常によって、
血液から大量の脂肪様物質や水分が漏れ出て、
網膜内や網膜下にたまる病気です。
10歳以下の男児に多くみられ
ほとんどは片眼性です。原因は不明ですが、
遺伝性は無し。
と言う事です。
長男の場合、眼底写真で二年前の
発見も可能だったと考えます、
けれど・・・けれど・・・
発見が早くても子供、特に10歳未満
での発症では予後は良くないそうです。
長男は視力低下は7歳の時から
眼底に病変らしいものが見られたのは
二年前の9歳から・・・
発症時期は10歳前。予後が良く無い
分類に入ります(・_・;)
2005年10月15日
網膜って?
網膜はいわば眼球の内壁で、カメラのフィルムにあたる部分。
目のなかに入った光は網膜にピントが合うわけです。
網膜に光があたると化学反応がおこって、
光のエネルギーを電気的なエネルギーに変化させます。
太陽電池のようなはたらきをしていると、
考えることもできます。
網膜にはカラーテレビの3原色と同じように、
赤、緑、青の3色にそれぞれ反応する3種類の細胞と、
薄暗いところでも敏感に反応する白黒系の細胞とが
複雑に配置されていて、微妙な色具合や明暗が
わかるしくみになっています。
網膜のもっとも後方の部分は中心窩といい、
ここがものをみる中心となります。
眼底では黄斑部の中心にあたります。
黄斑部?
黄斑は、網膜の後極部にあり
眼の奥(眼底)の中心部(中心窩)と
その周囲のことをいいます。
ここには明所での視力と色覚を判別する錐体が多くある為
黄斑部での疾患は、直接視力低下や色覚障害につながり、
中心窩に異常が及ぶと視力は0.1以下に低下してしまいます
長男・黄斑部に症状出ています。・・・はぁぁ
2005年10月16日
長男大好きな野球!
網膜剥離をしているから運動はやっぱり不安。
けれど今日の大会までは野球をやろう!!って
私も腹を決めていました。
一試合目は長男の出番無し。
自分に出来る事コツコツとやっておりました。
二試合目始る前にコーチから
「長男。フルイニング使いますから・・・」って
私・・・えぇ??技術的に彼が出たら・・・?
どうなのよ。って気持ちもありましたが
やっぱり嬉しかったぁ(^^)
二打席あってヒット無し。
守備では一つきちんと他の守備のカバーをし
頑張りました。
4チーム中。と少ないチーム数の中ですが優勝
しました。良い経験をさせてもらえたと
思ってます。
21日の検査に体調を整えたい事。網膜剥離の進行が
怖いこと。が理由で大会が終ったら
少し野球を休ませようと思っていましたが
長男・・・どうしても練習に行くといって
聞きません。後で「あの時やらせておいてあげれば」
って思う後悔がとても怖いので、彼のやりたい様に
やらせる事にしました。
でもでも・・・やっぱり症状を進行させたらと思うと
不安です。
2
005年10月17日
二年前受診した時点で今の病名を見つける事が
できれば・・・
もしかしたらもっと視力が良い状態で過ごせた
かもしれない・・・(T_T)
それを思うと凄く悔しい。そんな気もします。
二年前からの主治医へは色々な感情があります。
そう言う事を含めて全て含めて私の気持ちの
一部は貝になっている。そんな感じです。
何をどうしたら良いのかが分からないのです。
私は看護師なので、現状の把握は出来てます。
でも、やっぱりまだ完全に受け入れる事が
出来ていません^^;このあたりが情けない。
自分の中に完全に受け入れる事が出来ないので
消化し・納得できる、受け入れられるそんな
気持ちになれませんねぇ・・・まだ・・・
今までの主治医を二年前にさかのぼり
訴えるとか、何か保障してもらうとか
そう言う方法も考えた方がいいのか?
今現在の問題じゃなくて、長男が大きく
なった時に「何で。分かった時に闘って
くれなかったんだ?」って
思うかなぁ。視力低下への保障とか。
やっといた方が良いのかな・・・
って感じたり。
医療の裁判。難しい。時間かかるだろうし。
元の主治医が今回の事何て言うかわからない。
私としては全面的にDr信頼してたので
セカンドオピニオン。他の病院への受診とか
全く考えなかった。けれどそれも私達親の
落ち度。って事になるのかもしれないし。
難しいなぁ。
病気の事、ネットで発信しようと決めていた.
その時期はまだ先にするはずだった。
けれど自分の気持ちの整理、そんな事も
あり見切り発車のようにプログを立ち上げて
今に至ります。まだまだのページですが
よろしくお願いします。
2005年10月21日
蛍光眼底造影検査をしてきました。
造影剤を注射しながら、眼底写真を撮る
検査です。瞳を開いて(とっても眩しい)
の撮影検査です。子供にはちょっと大変
・・・かな・・・頑張ったとDrに誉めて
貰ってちょっと報われた長男でした。
後はCT検査。これは結構簡単に終ったと
本人が言っていました。
検査の結果はまた来週。
2005年10月22日
目の調子が悪いと分かってからの転院しての
検査通院・・・
長男は泣く事も無く、イライラもせず
兄弟げんかが増える訳でもなく
普段どおりに生活している長男。
強い子供だって思っているけれど何処かで
泣いたり、不安を口にしたり、しないと
ちょっと心配していました。
今日長男の大好きなラヂオのパーソナリティー
に逢いに行きました。放送終了間際に行き
スタジオから出てくるのを待って・・・
周囲の人に子供の眼のことを話せずいた時
パーソナリティー宛にメールをしました。
だから長男の目の事は知っていてくれて。
「頑張るんだぞ。大丈夫だ。
走り回れなかったら、好きなチームを
一生懸命応援して、大丈夫だから」
力強く握手をしてもらいました。
長男はポロリポロリと涙を流し・・・
長男の気持ちのバランスが取れたかな?
ちょっと安心しました。
辛いと思っていても強い自分で
頑張る長男。親としてどんな風に力に
なれるかな・・・温かく見守り強い親で
傍についている事しか出来ないかな。
2005年10月27日
今日先日の検査結果を聞きに行きました。
結果は「コーツ病」で間違いないだろうと
ただ、長男が紹介された病院では10歳以下の
子供のコーツ病の症例が過去にさかのぼっても
無い事、眼底写真の結果がDrの知っている
コーツ病と違う部分がある事などの理由で
今後の治療方針・病名の確定の為に違う病院を
紹介されました。
混んでいる病院で予約はやっと一ヵ月後に
取る事が出来ました。
まだまだ先が見えるようになるには時間が
かかりそうです。
治療や病名が確定しても視力の回復は
望めない。と言う状況は変わりありません。
もっと早く気がついていれば・・・
そう思わずにはいられません。
2005年10月27日
昨日の診察で他の病院を紹介された。
理由はいくつかあるけれど・・・
長男の今受診してる病院では
10歳以下の子供のコーツ病の症例がない。中学生以上の子が年に2・3例の症例のみ
そういった理由から
他の医師の話を聞いてきて。っていう
セカンドオピニオンて感じです。
・・・患者が望んだのでなくDrから
他の病院の医師の診断を仰ぐなら
21日の検査の日に話してくれれば
良かったのに。そうすれば予約だって
少しでも早く入れることが出来たのに。
来月の21日まで症状の悪化心配したり
不安なまま過ごすなんて・・・
時間のかかりすぎ・・・
病名・治療方針・分からないまま過ごす
こんなのもう嫌だよぉ〜
2006年11月16日
病院受診まで一週間を切りましたが
待ちに待った日が近いからか何だか落ち着きません。
頭痛があり酷くなると吐く事もある長男。
もしも違う病気を告知されたら・・・
頭部CTでの気になる点は今度の受診では
診断できないと思うのですが、それも不安なので
質問してこようと思います。
頭痛と、その症状が他の病気を示す症状だったら?
不安が一杯。
次男は東京へは旅行の感覚もあり楽しみにしてる。
長男も病院に行く。って思うと気がめいると言って
遊びに行きたい場所を選ぶから連れて行ってくれと
言っています。
不安も沢山あるけれど、マイナスばかり考えて
見つめていても仕方が無い。親の不安が子供にも
伝わってしまうので、プチ旅行+病院という気持ちで
その日を迎えたいと思います。
2006年11月21日
手術が決まりました。
来月手術します。現状維持できるか?
大学病院で言われたような消極的に
何もしないで経過を見るか・・・と
言われていたのでその事も覚悟しての
今日の受診でした。
手術できる。ホッとしました。
手術の説明を聞いてるときに長男は
泣きそうになり、不安を隠せない様子
でした。11歳の子供には不安・辛い
話だったと思います。
入院手術と言う事で祖父母・主人の兄弟に
詳しい話をしました・・・
今まで治療方針が決まらない。
状態、病名がハッキリしない。
と言う事情で詳しくは話せませんでした。
また・・・私が精神的に受け入れる事が
出来ずにいたので人に説明する事事態
辛かった。まぁ今も辛いですが・・・
病院の待合室には多くの子供ちゃんが
いました。長男よりも小さい子が多くて
辛いけれど、今のところ自分の好きな
スポーツをして過ごせている事を幸せと
思わなければ・・・そう感じました。
それでもまだ、頭では分かっていても
気持ちが追いつかない。と言う時もあり
うーん。もっと強い母にならないと駄目
ですねぇ・・・〜
2006年12月10日
昨日入院することが出来ました。
手術は来週。親子で緊張しています。
最初の大学病院の先生の話しでは
希望はもたないほうが良いのでは?
と思う毎日でしたが、もしかしたら
視力の回復も(少しでしょうが)
望めるかもしれません。最低でも
現状維持には希望がかなり持てます。
本人だいぶ不安のようです
・・・当たり前ですね・・・
けれど長男自身、希望を持てる話しを
Drがしてくれたので、今日は
緊張の中にも、表情がほぐれている
そんな気がしています。
皆さん色々とありがとうございます。
また様子をUPしたいと思います。
2006年12月12日
手術当日の朝食はぁ〜
ビスケット2枚とお茶でした。
全身麻酔で手術するのに朝食
出るんですねぇ!
なるべく早く病室に行く様にして
いつも通りの時間を過ごしました。
緊張。不安。色んな気持ちを持つ
長男ですが、普通に普通に過ごして
いました…
予定通りに手術室に入室。
一時間半ほどでDrに呼ばれました。
今までは麻酔かけて検査していたと
検査の結果レーザー凝固と冷凍凝固
両方の手技を使い手術をして時間は
30分程度かかる。と言う事でした。
一時間ほどで手術が終り、後は麻酔
から覚めて落ち着けば病棟へ帰れます。
40分位で呼ばれました。
ウトウトと寝ていますが、声掛けには
反応します。
眼帯して寝ている長男見たら
涙が出そうになりました・・・
病室に帰ってからがちょっと大変。
ウトウトしながら痛がり・・・
痛み止めを使いました。その後も
痛い痛いとうわ言の様に言い続け・・・
眠ったかなぁ?って思うと呼吸・酸素
を監視してる装置のアラームが鳴り。
眠ると呼吸をサボるようです^^;
麻酔科の医師の診察がありましたが
酸素使って様子見ていて大丈夫との事で
一安心です。
ウトウトと眠り、起きたと思えば
「イタイイタイ」と言い続け、数分で
ウトウトと眠りだす。そんな事の繰り返し
呼吸していてもアラームが鳴らず、
「痛い痛い」も言わなくなったのは
23時頃の事でした。
10月に視力が悪いと気がついた時から
今日の手術まで本当に長く感じました。
手術後視力の回復が望めるかは半年・
一年の経過が必要ですが、とりあえず
失明の心配は無くなり、今の視力は維持
出来るとの事。安心しました。
退院は数日の内にできるようです。
多くの皆様に支えられ、励ましていただき
感謝感謝です。
ありがとうございました。
2006年12月13日
DRの回診が8時頃ありました。
眼は腫れているけれど傷などに
問題は無いと言う事でした。
明日退院してもいいよ。って
言われました。
あまり早く退院しても病院までは
遠く心配なので退院は15日に
決めました。
眼は腫れていて、涙も出る。
とにかく眼が気持ち悪い。
触りたい。と言う長男。我慢。
我慢の長男でした。
一日5回の点眼の時間が楽しみで
手術の後がこんなに辛いなんて
思わなかったぁが口癖になった
長男でした。
私は9日から今朝までは病院近くの
ボランティア施設に宿泊出来たの
ですが、今日からは最初に借りた
マンスリーマンションでの生活です。
バスで10〜15分程度の場所です。
慣れない場所に夜行くのは心配^^;
昼間の内に一度探検しました。
病棟の子と一緒に遊ぶかと聞けば
「いい。遊ばない」と言う長男。
眼帯していたり、恥かしかったりで
嫌みたいです・・・
私は変わらず編み物をしています。
2006年12月15日
無事に退院となりました。
次回の診察は2月で良いそうです。
手術後1週間たてば頭を洗っても
良いと言う事です。
プールは一ヶ月は駄目だけど他は
普通の生活に戻してよいそうです。
少し東京を楽しんで帰ろうと
思います。
渋谷の美味しい回転寿司に行き
お昼を食べて、長男希望の店に
行って・・・15時過ぎの新幹線で
無事に帰宅しました。
今日からは長男も私もゆっくりと
眠れそうです。
2005年12月19日
少しずつ体力を戻し普通の生活に
戻そうと考えています。
16日は学校を休み大学病院へ
資料を返しに行き、少しずつ外で
動くようにしました。
今日から学校へ行く予定でしたが
起きたら頭痛を訴えるので
本日もお休みです。
一週間以上休んだから登校しにくい
のかなぁ?何て心配もしましたが
午前中爆睡してる長男。
まだ疲れてるのかな?
私も眠くて眠くて仕方ないので
仕事まだ休んで午前中爆睡して
しまいましたぁ。
一日化粧もせずに過ごしちゃったぁ
2005年12月25日
長男は落ち着いて日常生活に
戻りました。
二週間休んだ野球に行くと皆に
どうしたの??って聞かれてました。
ちょっと眼の調子が悪くてって説明
したようです。やはり片方視力悪い
と言う事はハンディになるだろうし、
「あの子片目悪いんだって」なーんて
いう風に見られる事も嫌だし。
野球の友達。親御さんにはどうやって
説明しようかなぁって・・・
何となく話を濁してしまいました。
片眼では物を立体的に見るのも無理
だろうし・・・右目への負担も心配
もしも右目も悪くなったら???
なーんて新たに色んな事が心配に
なってきます。
神経・網膜のダメージがどれ位なのか?
それによってはですが
良い方向で考えれば、矯正視力が出る
かもしれない・・・という希望も・・・
祈るしかありませんねぇ。
片目がハンディだとしても大好きな野球を
続けられる事を幸せだと思い、自主トレを
頑張っている長男です。
ここまでが、病気が分かってから、手術までの経過です。手術後の経過はしばらくは良好でした。
2006年の6月末までは・・・
二回目の手術へ HOME